今川氏の歴史7.「幕府を支えた名将」5代今川範忠

今川氏の歴史
今川氏の家紋

今川範忠(いまがわのりただ)は、1408年(応永15年)に生まれました。

父は今川範政。彼の時代、今川家の家督争いはとても複雑なものでした。

もともと範忠(幼名・彦五郎)は父からの信頼も厚かったのですが、父範政が末子・千代秋丸を後継者にしたいと将軍に申請したことで、事態は一変します。

これにより今川家中は「範忠支持派」「弥五郎支持派」「千代秋丸支持派」と三つに分裂してしまったのです。範忠は出家して一時的に身を引くほどでした。

しかし1433年(永享5年)、範政が亡くなると状況は変わります。

千代秋丸の後継は立ち消えとなり、最終的に家中の多くが彦五郎=範忠の支持に回りました。

こうして1433年6月3日、範忠は正式に今川家5代目の家督を継ぐことになります。

ところが――。

そのわずか1か月後の7月、三浦氏・進藤氏・狩野氏・富士氏・興津氏らの国人が反乱を起こしました。

新当主に不満を持つ者たちが立ち上がったのです。これに対し、範忠を支えたのは岡部氏・朝比奈氏・矢部氏などでした。駿河国内は内乱状態に。

しかし、9月には範忠が湯島城を攻め落とし、反乱は鎮圧。ようやく駿河は平穏を取り戻します。ここから、範忠の本格的な支配が始まりました。

1408年(応永15年)今川範忠生まれる
足利義満没する
1409年(応永16年)今川泰範没する
今川範政が家督を継承(4代目)
1423年(応永30年)足利義量が征夷大将軍に就任(5代目)
1425年(応永32年)足利義量没する
1428年(応永35年)足利義持没する
足利義教征夷大将軍に就任(6代目)
1433年(永享5年)今川範政が没する
今川範忠が家督を継承(5代目)
駿河国内で国人一揆が起こる
1434年(永享6年)足利義勝生まれる
1436年(永享8年)今川義忠生まれる
1438年(永享10年)永享の乱
1439年(永享11年)足利義政生まれる
1440年(永享12年)結城合戦
1441年(嘉吉元年)嘉吉の乱(足利義教が暗殺される)
足利義勝が征夷大将軍に就任(7代目)
1443年(嘉吉3年)足利義勝が没する
足利義政が征夷大将軍に就任(8代目)
1449年(宝徳元年)足利成氏が鎌倉公方に就任
1454年(享徳3年)享徳の乱
1461年(寛正2年)今川範忠没する
目次

永享の乱 【将軍義教に忠義を尽くす】

時は1438年(永享10年)。

将軍・足利義教と鎌倉公方・足利持氏の関係は最悪の状態にありました。

慎重派の上杉憲実が仲介して何とか保たれていたバランスも、1435年に満済准后が亡くなると崩れます。

そしてついに、義教と持氏の対立が激化し、戦へ――。

これが「永享の乱」です。

幕府は関東へ討伐軍を派遣。その大将に命じられたのが、駿河守護・今川範忠でした。

戦いの末、足利持氏は鎌倉の永安寺で自害。

この功績により範忠は将軍義教から「天下一苗字」の恩賞を受けます。

つまり、「今川」という名は範忠の家系のみが正式に名乗れる、という栄誉です。

以後、今川了俊の子孫は「堀越氏」を名乗るようになります。

結城合戦と嘉吉の乱

1440年(永享12年)、持氏の遺児たちが結城氏らとともに蜂起。

範忠は関東管領・上杉清方の副将軍として参戦します。

激しい戦の末、結城氏朝は討たれ、足利持氏の次男・安王丸、三男・春王丸も処刑されました。

しかし、末子・永寿王丸だけは助かります。

ところが、その護送中に大事件が――。

1441年(嘉吉元年)、将軍・足利義教が赤松満祐に暗殺される「嘉吉の乱」が勃発。

この混乱で永寿王丸の命は救われたのです。

その後、成長した永寿王丸は「足利成氏」と名を改め、鎌倉公方に就任します。

範忠はその後も幕府側の要として活動を続けました。

享徳の乱と征東大将軍

ところが、またもや関東は混乱します。

足利成氏と関東管領・上杉憲忠が対立し、1454年(享徳3年)に成氏が憲忠を討ち取ってしまったのです。

これを機に「享徳の乱」が勃発。

幕府は成氏を謀反人とみなし、今川範忠を「征東大将軍」に任命。

1455年、範忠は大軍を率いて鎌倉に入り、成氏の館を焼き払います。

敗れた成氏は下総国の古河へ逃れ、以後「古河公方」として生きることになります。

晩年と家督継承

戦に明け暮れた範忠も、やがて晩年を迎えます。

1461年(寛正2年)に病没。

その2か月前には、長男・義忠に家督を譲っていました。

自身が家督争いに苦しんだ経験からか、その継承はきわめて円満に行われたといわれます。

範忠の菩提寺は「宝処寺」と伝わりますが、残念ながらその所在ははっきりしていません。

しかし、駿河をまとめ、将軍からも信頼を得た名将・今川範忠の功績は、今もなお今川家の礎として語り継がれています。

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