今川氏の歴史1.「駿河を制した源氏の名門、天下人になり損ねた家系」今川氏の起源

今川氏の歴史
今川氏の旗印「赤鳥」

今川氏といえば、1560年の桶狭間の戦いで織田信長に討たれた今川義元が有名です。そのため、どうしても「戦国時代の脇役」として扱われがちです。

しかし、歴史をさかのぼれば、今川一族は日本史の表舞台に深く関わってきた名門中の名門。むしろ少し時代が違えば、天下を取っていた可能性すらある家柄です。

駿河国は、京都の室町幕府と鎌倉府(関東府)のちょうど中間に位置し、政治・軍事の要衝でした。

つまり、今川氏の歴史を知れば室町時代がわかる、そう言っても過言ではありません。

目次

1.今川氏の発祥 〜清和源氏の血を引く名門〜

今川氏は、清和源氏を源流とする名門・足利氏の一族です。

戦の神「八幡太郎」源義家の孫・足利義廉が、北条政子の妹・北条時子との間にもうけた足利義氏(1189–1255)が三河守護職となり、矢作川東岸の吉良(現・愛知県西尾市)に拠点を置いたことが始まりです。

義氏の嫡子・足利長氏(1211–1290)が家督を継ぎ、吉良荘を支配。以後、吉良氏を名乗ります。

この長氏の二男が今川国氏(1243–1282)で、吉良荘の一部「今川荘」(現・西尾市今川町)を与えられ、ここから「今川氏」を名乗るようになりました。

※吉良長氏は、東福寺の聖一国師・円爾を招いて実相寺を建立した(1271年)ことでも知られています。

祖先西暦
源経基(生年不詳-961)清和源氏の祖
源満仲(生年不詳-997)鎮守府将軍
源頼信(968-1048)平忠常の乱を鎮圧、道長四天王
源頼義(988-1075)鶴岡八幡宮創建
源義家(1039-1106)通称八幡太郎、玄孫に源頼朝
源義国(1091-1155)長男義重は新田氏、里見氏、山名氏の祖
足利義康(1125-1157)足利氏の祖
足利義兼(1154-1199)正室は北条政子妹
足利義氏(1189-1255)三河国守護、正室は北条泰時の娘
吉良長氏(1211-1290)吉良氏の祖
今川国氏(1243-1282)今川氏の祖
今川基氏(1259-1323)無徳の人
今川範国(1295-1384)今川氏初代守護

2.今川国氏と四人の息子たち

今川国氏は四人の男子に恵まれました。

長男の基氏(1259–1323)が家督を継ぎ、

次男常氏は関口郷を与えられ関口氏、

三男俊氏は入野郷を与えられ入野氏、

四男政氏は木田郷を与えられ木田氏をそれぞれ名乗ります。

この国氏の長男・基氏が、後の今川隆盛の礎を築く人物となります。

🏯 豆知識:足利氏ゆかりの地名由来

三河守護職だった足利氏の一族は、それぞれの支配地の名を姓にしました。

たとえば、細川郷=細川氏、吉良荘=吉良氏、今川荘=今川氏です。

3.今川基氏(1259–1323)と中先代の乱

今川基氏は当初、今川荘に居住していましたが、後に遠江国引間荘(現在の浜松市)に移住しました。

これは、霜月騒動(1285年)での功績に対する恩賞だったと考えられています。

基氏には五人の男子がいましたが、家督を継いだのは五男の今川範国(1295–1384)でした。

その理由は、中先代の乱(1335年)に関わります。

この乱は、北条高時の遺児・北条時行が起こした反乱で、建武新政に反発した鎌倉方の戦いでした。

足利尊氏が京都、弟の足利直義が鎌倉を守る中、時行が信濃で挙兵し鎌倉を制圧。

直義は三河まで敗走しますが、尊氏軍と合流して反転攻勢に出ます。

遠江国橋本、小夜の中山などで激戦が展開され、このとき今川勢も奮戦。

範国は大将・名越邦時を討ち取るという大手柄を立てました。

その鎧を埋めた「鎧塚」は、今も現地に残されています。

しかし、相模川の戦いでは範国の兄たち(範満・頼周)が討死。

範国は強行渡河の末、矢を20本も受けて戦死したと伝わります。

こうして兄たちが戦死したため、末弟・範国が今川家を継ぎ、以後、駿河・遠江を基盤に力を伸ばしていくことになります。

小夜の中山峠にある鎧塚
小夜の中山峠からの景色

大喜法忻は名僧

四男は出家していて仏満禅師大喜法忻といいます。鎌倉の浄智寺、円覚寺、建長寺の僧を歴任し、開設した寺が駿河に9つ、下野に3つ、相模に2つある名僧でした。

神奈川県南足柄市にある上関山極楽寺は今川範国が開基し(1344年)、兄大喜法忻が開山しております。

4.今川氏発祥の地

今川氏の発祥の地は愛知県西尾市今川町で、西尾中学の南側に今川氏発祥の石碑が建っています。

今川氏発祥の地
今川氏発祥の地

🏮まとめ:今川氏の始まりは「吉良氏の次男」から

今川氏はもともと足利一門・吉良氏の一支族として誕生しました。

源氏の名門に連なる家系であり、鎌倉・室町を通じて中央政治と深く結びついていたことがわかります。

のちの今川義元だけでなく、彼の祖先たちの活躍こそが、駿河今川家の基礎を築いたのです。

今川氏の系譜をたどることは、室町時代の日本史そのものを理解する鍵になります。


次章では、いよいよ室町幕府の有力守護として台頭する「今川範国」以降の物語を紹介します。

👉【次回】駿河今川氏の初代守護にして、室町幕府を支えた名将今川範国です。

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